日記

 20年後、私はまだ働いているかしら?

中学2年生はそろそろ助動詞を習うころです。
最初は未来や意思、予定を表す表現、willとbe going toがでてきます。

 

2つの表現の違いを理解させる前段階で、20年後は何をしていると思う?と生徒たちに聞くことがあります。

34歳。(20年後でも34歳!まだ若いですね~というのは置いといて。)

「まぁ、たぶん働いているな」とか「まだ結婚はしてないかも」とか。

 

先日は、思いもよらない答えが返ってきて、一瞬、ことばに詰まってしまいました。

 

「34歳。え~と、その年はたぶん生活保護をもらって生活してますね。」

ある男の子が真面目な顔で言うのです。

曰く。

 

自分は大学を出て、●●(伏せますが、職業です)になって就職するが、その業界はブラック企業が多いので、34歳は、就職した会社を辞めて生活保護をもらいながら、次の就職先を探している頃だ、と。

 

う~ん。

 

willは漠然と未来を予想したり、その場で決めたことを言うときに使います。

彼の思い描く未来は、妙にリアリティーがあって、なんとなく重い感じもしつつ、でも、しっかりと現実的で、夢も叶えているようで、なんとも形容しがたい気持ちになりました。

 

「今はブラックな業界かもしれないけどさ、ほら、20年後には変わっているかもしれないし・・・」

と言いながら、これはwillじゃなくてmightだなぁと考えていました。

 

20年後。

私は、今まで教えた生徒さんたちのお子さんに、英語を教えていられたら幸せだなぁと思います。

 

 

 

 これからの英語教育

中学生の英語の教科書を見ると、改訂のたびに、より自然な英語が使われるようになっているなと感じます。

 

例えば、”Thanks.”に対する返答。

“You’re welcome.” ですか?

ある教科書では、友だちとの会話の場面では、”It’s nothing.”が使われています。

また、”Let’s play baseball.”に対しては、”Why not?”。

私が中学生だったン十年前と比べるのはナンセンスだとわかっていますが、どの場面でも判で押したように

Thank you.—You’re welcome.

Let’s play baseball. —Yes, let’s.

と習っていたことを思い出すと、隔世の感があります。

 

私が20歳で初めて英語圏での生活を体験した時、学校で習ってきた英語とのギャップをものすごく感じました。

この場面ではこの表現が使われると習ったのに、えっ、だれも使ってないよ!? と。

現地での生活を通じて、英語を学びなおしたようなものです。

 

今の子どもたちは、私が感じたようなギャップを感じることは少ないのかもしれませんね。

そして、それはとてもよいことです。

習ったことが通じなくてがっかりしたり、自信をなくしたりすることが少ないのですから。

 

ネットでおもしろい記事を見つけましたので、シェアします。

テキストの内容とともに公教育での授業も変わりつつあります。

 

http://bit.ly/2ppdUx4

 

 

 いろいろ

積極的な子、物静かな子、にぎやかな子、控えめな子。
子どもたちを見ていると、本当に十人十色、一人として同じ子はいないなぁと実感します。

学習のスピードもさまざまで、同じクラスで同じことを勉強していても、習ったことをすぐに使えるようになる子もいれば、じっくりと時間をかけて覚える子もいます。

あるいは同じ一人の子どもでも、学習内容や日によっては、今日はいつもより覚えるのに時間がかかったなということもあります。

 

特に幼い子どもによくあることなのですが、自分が知っていることやわかった答えを、まだ考えている友だちに耳打ちして教えてしまう子がいます。

講師の立場では、一人ひとりが(たとえヒントをもらいながらでも)自分で考え、答えにたどり着いてほしいので、そういうことがあると「あぁ~😞」という気持ちになります。

そして、それが何度も続くと「〇〇くんが考えてるんだから、答えを教えちゃダメだよ!」と言ってしまうのですが、言ってしまって「あぁ~😢」と自己嫌悪に陥ります。

 

「〇〇くんにも考えてもらいたいのに・・・」というのは、こちらの勝手な考え。

子どもは、お節介をしているわけでも、自分はわかっているということをひけらかそうとしているわけでもなくて、積極的に取り組んでいて、答えが出てこなくて困っている(ように見える)お友だちを手伝っているだけ。

悪気など、まったくないのです。

早く答えがわかったことを褒めてももらえないで、逆に叱られるなんて、その子にとっては理不尽でしかないですよね。

 

一人ひとりにじっくり考えさせたいのなら、それができる活動を考えるのは講師の責任。

当たり前のことなのに、時々忘れてしまいます。

 

週1回の1時間と限られた時間ではあるけれど、幸い少人数の小さなクラスで、また何年もお付き合いをさせていただく生徒さんがほとんど。

子どもたち一人ひとりの特性をしっかりとつかんで、レッスンしていこうと改めて思った日でした。

 

子どもの日ももうすぐです。

 

健やかに たくましく のびのびと

健やかに たくましく のびのびと

 

 

 

 

 

 

 

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